東海道五十三次を歩く!人間の一番遅い手段で移動して何するべきか考えた結果

こんにちは、北川勇介(@yusukeworld_)です。

インドから帰国すると、もともと受けるつもりで提出した教員採用試験の願書が受理され、受験票が届いていました。

そうだ!

もともと、レベルアップして教師に戻るための2ヶ月間の旅だったのだ。

すっかり忘れていたぜ。

4月はカンボジア、5月はインド、6月むちゃくちゃ勉強して7月の試験に臨むはずが、どうにもこうにも気持ちが乗らない。

そう。

ぼくの心は完全に変わっていました。

 

恋の病並みになにも手につかない

勉強期間と思われた6月。

机には向かうものの、テキストを開いてもペンはノートの上を走ることなく、机の上を転がっていた。

その横で、ぼくはずっと世界の現状を調べていた。

同じ時代を生きるぼくらの運命は、生まれた場所が少し違うだけでだいぶ違う。

同じ2013年(当時)を生きていても、学校に行くことが当たり前ではない子どもたち、食べることが当たり前ではない人たち、戦争に巻き込まれていることが日常的な人たち、感染症と戦い続ける人たち。

ぼくは今の所、これらのどれにも直面することなく生きてきた。

もしかしたら、きっとこれからもそうかもしれない。

でも、世界には様々な問題と直面している人たちがいる。

もちろん日本国内にも。

だったら、ぼく一人で世界は変えられないけれど、知ってしまった現実を置き去りにすることなく、問題解決に向けて動いていこう。

貧困問題の解決に、人生を懸けようと思った。

 

フリーランス北川勇介の始まり

そんな中途半端な気持ちで教員採用試験を突破できるはずもなく、スパッと落ちた。

それでもなんだか晴れ渡る気持ちで、ぼくはフリーランスという道を歩き始めた。無謀にも。

同時に、カンボジアに小学校を建設するという挑戦にチャレンジすることにした。

でも、何からしていいかわからない。

このままじっとしていても、わからないのなら…

歩いてみるか!

ってことで歩くことにした。

東海道五十三次を歩くか、四国の八十八ケ所巡りか迷ったが、8月末にカンボジアで出逢った同期メンバーと東京で会うことを思い出したので、京都から東京を目指して歩くことに。

人間の一番遅い移動手段で、移動しながら「どうやったら自分がやりたいことやれるか?」を考えることにした。

 

東海道五十三次を歩く!京都→東京500kmの旅

2013年8月12日。

地元の東名高速道路のサービスエリアから、ヒッチハイクでぼくは京都を目指した。

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とりあえず短距離で繋いで行こうと思って、愛知県入りを目指すが、京都に帰省する所だったという垣内さん家族に拾われて一発京都入り。(こんなうまく言っていいのか…)

ここから18日間に及ぶ500キロの歩く旅路がスタートした。

どんな旅だったのかを簡単に紹介すると、こんな感じ。

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初日で足の裏の皮はズリズリになり。

夜は、滋賀に住み着いた岡崎の獣、卓磨と再会して朝までがぶ飲み。

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石山駅のすぐ近くにある「鉄板焼き笑栄」にて!

店長さんの計らいで、なんと!!

朝までタダ飲み・タダ食いというビックリすぎるおもてなし。

こうなりゃもう、訳わからなくなっちゃうよね。

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その場にいた人全員巻き込んで乾杯して。

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全員で記念撮影。

笑栄のおばちゃんの妹さんが、この先30キロ先でお店をやっているから「そこまで頑張って歩きなさい」と言われ。

次の日はそのおばちゃんの妹さんちに泊めてもらい、夕飯、風呂、洗濯、朝食、お弁当と何から何までお世話になる。

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おばちゃんちの乾燥機のおかげで縮みすぎた靴下。

三重県入りした時には山道&水分不足で足がつったセルフ写真。

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三重の「関宿」で泊まったゲストハウスは趣のあるゲストハウス「石垣屋」。

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ここでたまたま同じタイミングで泊まった人たちからは、全然名前を覚えてもらえず。

日体大出身ってそこだけは覚えられ、なぜか「ニッタくん」って呼ばれる始末。笑

 

 

名古屋で泊まった音速別荘ではいろんな人と話が弾みすぎて。

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宿予約したのに外で寝るという失態を犯す。

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音速別荘で出会ったメンバーの何人かと佐久島へ寄り道もした。

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静岡県の富士市過ぎた辺りから、富士登山客に間違えられて「そんな格好で登ったらいかん」という話を数人から立て続けに喰らって面倒臭くなったので、ついにダンボールに何しているか記載。

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本当はこういうの好きじゃないから書きたくなかったけど。

 

トマホークみたいなかき揚げ丼を高校野球の仲間が食べさせてくれた。

 

 

沼津の原駅でアクエリアスを差し入れてくれたまいさん。

まいさんは後に、ぼくの「キャンドル師匠」となる人。

まい姉さんとは年に数回会うほどの仲に。

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箱根では一泊して温泉にでも入るつもりが、なんだか虚しくなって1日で三島から小田原へ50キロ越えウォーク。

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平塚では大学同期のヒロシ(本名:宏美)にバッキバッキの身体をメンテナンスしてもらう。

 

戸塚あたりでは、大学の何代も先輩に当たる方に声をかけられて、手ぬぐいをいただく。

 

 

川崎では、

「お兄ちゃんの背中に京都から歩いてきたって書いてあるから、私もバス停一個分歩く!」

って言いながら頼んでもないのに着いてきたマダムがいて。

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東京入りしたら熱中症にやられた。

どれだけ水分摂っても、体冷やしても、木陰で休んでもダメなものはダメ。

路上にカメラ置いてセルフタイマーかけたら、立ち上がれなくて一回看板だけ撮った普通の写メが撮れた。

これはTAKE2。

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この時初対面のコスモ・リアーナとライオンキング的なノリで遊ぶ。

ちなみにコスモのぼくへの第一声は「相撲しませんか?」

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そんなこんなで18日目の正午頃日本橋にゴール。

最後、日本橋付近からぼくのバックパックの札を見た20名くらいのおばちゃん達に囲まれながら歩いて、ゴールした時たくさんの拍手と差し入れの飲み物をもらった。

なんだか照れくさかったけど、スゲェ嬉しかった。

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百均で紅い墨汁買って足跡を残してみた。

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妹分の理奈子が入院したという話を聞き、日本橋からそのまま飯田橋の病院へGO!

もちろん歩き。

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病院の帰りに、大学野球の先輩クワさんと神田でお茶をする。

もちろん電車に乗った。

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この日、たくさんのメッセージといいね!をもらい、ぼくの東海道五十三次の旅は無事に終わった。

途中実は、Twitterとかで「◯◯にいます」とか「どこどこ歩いてマッス!」みたいなつぶやきをするとたくさんの見知らぬ人たちが来て、食事や差し入れをしてくれた。

途中、神奈川のファミマでは店長が店にあったおにぎり全部タダでくれたりなんて出来事も。

 

この18日間の旅で出逢った人117名。

食事をおごってもらった回数17回。

差し入れをもらった回数26回。

 

もらう内に人のお世話になることが、普通になっていく自分が強かった。

最後の方はほとんどお金を使うことなく、毎日入れ替わり誰かといた。

 

十分すぎる人の優しさに触れた旅、その優しさが次にいく原動力。

この返しようもない大きなご恩を、やっぱぼくは社会に還元していくべきだと感じた。

こんな見ず知らずのぼくに力を貸してくれた人たち。

もしかしたらもう会うこともない人がほとんどなのかもしれないけど、直接何かお返しはできないかもしれないけど、ぼくはぼくのやり方で、旅の途中の出会いで生まれたご縁の中でお話させてもらった未来の実現に向けて、人生を懸けようと思った。

ゴールから数日後の9月2日。

やってみたいという気持ちをみんなで実現させるためにチームを作った。

それが来夢プロジェクト。

そのプロジェクトの最初にカンボジアの小学校建設を手伝ってもらっている。

メンバーも入れ替わりがあったけど、最終的に残ってくれているTEAM YUSUKEが今も支えてくれている。

この時は随分先に思えた小学校建設。

ここから加速するとともに、具体的になればなるほど課題が見えてきて、ぼくらは難航予想しかない航海の旅にでた。

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ABOUTこの記事をかいた人

1986年静岡県生まれ 日本体育大学卒業後、静岡県の公立高校に四年間勤務。 退職後に訪れたカンボジアで縁があった小さな農村部に小学校を建設し、その後正式に独立。 現在はリュック二個のモバイルライフ。カンボジアを拠点にゆっくり旅の途中。