始まる前の気持ち

10月15日に出発予定だったネパールが

中止になって早いもので約2週間。

 

明日には羽田からクアラルンプールを

経由してカンボジアに行く。

 

いよいよか。という気持ちと、

本当に大丈夫かな。っていう気持ちが

入り乱れている。

 

ただでさえ、落ち着きのない僕は

連日ソワソワしている。

 

一人でいると、壊れてしまいそうなくらい

実は繊細でちっちゃなプチトマトの様な

心臓なんだと思う。

 

このちっちゃな心臓が押しつぶされない様に

僕は見栄を張ったり、意地を張ったり、

大口を叩いてしまう。

 

自分を守ろうとして、取り繕ってしまったり、

人を寄せ付けない様にしたりしてしまう。

 

ここんところ、正直自分に自信がなかった。

 

自分が大切にしたいを姿を逸脱して、

人の目ばかり気にしているような感覚に

襲われていた。

 

自分が起こしたプロジェクトの実現が

目の前に迫ってきて、

多くの人を巻き込んでいて、

ことの大きさと責任を果たすべく、

僕がやりたいことよりも、

人に受け入れてもらいやすいことばかり

考えていた気がする。

 

 

 

そんな心境でいるから、

何だか身の回りの事も

上手くいっていない気がして、

たくさんの人に支えられているはずなのに

ひとりぼっちで歩いている気がしていた。

 

どんどん自分の心が弱っていく。

 

「何か間違ったことしたかな?」

「何か嫌なことしちゃったのかな?」

 

そうやって自分で勝手に悩んで、

勝手に落ち込んで、

自信を無くしていった。

 

でも、弱音を吐いたって、

転んだ幼稚園児の様に周りがみんな

心配してくれるわけではないから、

自分で置かれた現状と、自分自身を把握して、

現状を打破していくしかないのだと思う。

 

目標達成に向けて動く時、

僕はいつも夢を叶えることよりも、

叶えた自分はどうなっているかを想像する。

 

今回で言えば、

無事に小学校を建設し終えた自分は

どんなことをしているか、考えているか?

もっと大きく言えば、

どんな人間になっているかを想像する。

 

関わってくれた人たちが

笑顔で帰っていく様子を笑顔で見送り、

目を見てありがとうが言えていること。

 

村には笑顔が溢れていて、

開校を待ちわびる子ども達に

学校ができるまでの経緯や協力者のことを

話している。

 

といった具合に。

 

そのためには、って掘り下げると、

無事故でけが人・病人0で終わらせること、

村人との連携・協力を大切にすること

など、考えるべきことややるべきことは

自然とより具体的になってくる。

 

そしてあらゆる事態やリスクを考慮して

視野を広く持って行動できる自分、

周囲に気配りができて余裕がある自分、

どれだけ忙しかったり、疲れていても

笑顔で子どもたちと接することができる自分

という理想的な部分と、

今の自分を照らし合わせると、

足りないものが見えてくる。

 

そして足りないものが見えたら、

それを補うためにできることから始める。

 

夢を叶えた自分の姿に、

今のしょっぼい自分を高めて

近づけていく努力をする。

 

もちろん課題に対しての行動もしかり、

日々のタスク管理もしかり。

 

今やれることは、今すぐやる癖をつける。

 

始められることは、すぐに始める癖をつける。

 

 

僕は年に数試合だけ、

草野球という楽しみすぎる趣味を持っている。

 

いつもゲーム前にバッティングセンターに

行こうか行かまいか悩む。

 

行ったって、当日打てないかもしれない。

もしかしたら行かなくても打てるかもしれない。

 

でも試合で打てなかった時に

「バッティングセンター行っとけばよかったー」

って後悔することはあっても、

「バッティングセンター行っても意味なかったー」

って思うことはあんまりない。

 

打てなかったのは練習不足であり、努力不足。

 

つまり準備不足。

 

やったことに意味ないことはない。

 

そう考えると、

イメージした目標のその先の自分であるために、

できることはすぐやることが大切なんだと思う。

 

やって後悔することって、

禁煙していたタバコを勝手に解禁してみたり、

必要ない買い物して無駄なお金使ってみたり、

都合よく自分を甘やかした時。

 

目の前のことしか考えず、

その先のこと考えない時って大抵やって後悔する。

 

でもそれ以外のことはやった結果、

上手くいこうがいかまいが後悔することって

実はあんまり多くない。

 

特に挑戦したり、勇気を持って踏み出したことは

後悔が少ない。

 

迷ったり、悩んだり、凹んだりしている暇あったら、

やってみろよ自分!って思う。

 

そんで、バッティングセンター行っても

試合で打てん日があるように、

努力したってダメな日はダメなんだって思うと、

どうしようもない身の回りの環境を

受け入れられる様になってくる。

 

受け入れる力が付いてくると

躊躇することがなくなる。

 

でも弱っている時の自分って、

失敗したことや、馬鹿にされることとか、

相手にされないこととか、

そんな一時のしょうもない恥ずかしさや

情けなさばかりを考えて、動かない理由を探し始める。

 

確かにやらなければ恥ずかしい思いをすることも

情けない思いをすることも、不安なことも

心配していたことも起きないかもしれない。

 

でも何もしないってことはプラマイ0ではなく、

ほんのわずかなマイナスが生まれるのだと思う。

 

始める癖がつかないだけでなく

逃げる癖がついてしまうから。

 

そしてビビりながらも始めたあとは

心配していたことは意外と起きずに

取り越し苦労で終わったりする。

 

稀に何か起きても

失敗しようが

馬鹿にされようが

からかわれようが

そんなことどうでもよくなるくらい

次に目を向けるべきことが見えてきている。

 

ほんで一生懸命やっていると

脳みそが震えまくって

脳みそが筋肉痛になるくらい知恵が出る。

 

そして何やっているかじゃなく

一生懸命やっていることに仲間や支援者が

現れる。

 

でもやっていることの本質は、

人に褒められるためとか認められるため

なんてそんなちっぽけなものではなくて

自分のため、自分が見ている世界のため。

 

 

 

小学校の時、図工の授業で作った作品で

何回か賞状をもらったことがあった。

 

もちろん作品を作っている時は

賞状が欲しくて作っていたんじゃない。

 

でも、もらうことに慣れてくると

賞状をもらうための作品になってしまう。

 

そうやって欲を出すといい結果は出ない。

 

 

応援者や仲間が増えてくると

その期待や信頼を裏切らない様に

自分を無意識にシフトチェンジしてしまう。

 

でも世間や世の中って気まぐれで流動的だから

人に合わせた生き方って自分をぶらしている。

 

だから受け入れられている時は周りに人がいて

受け入れられなくなるとひとりぼっちになる。

 

そして人に合わせて生きてきた自分は

何も持っていないことに気付く。

 

ってことで

いろいろ書いたけど、結局は自分のために

丁寧に生きることができるかどうかってこと。

 

丁寧に生きるって簡単に言えるけど

すごく難しい。

 

自分の甘さと弱さを理解したら

気付いた時からいつだって再スタート。

 

そんなこんなで明日から行ってきます!

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