カンボジア小学校建設物語(13)〜メッセージの送受信編〜

無事に通学路整備が終わってからは、帰国後に2本の講演会が予定されていた。

講演会の場をいただけるのは本当にありがたいことで、SNSでこうやってメッセージを発信していても、届けきれない思いや情報を発信できる場というのは本当に嬉しい。

 

1本目は静岡県立佐久間高等学校の文化祭に呼んでもらった。

1日目に生徒向けの話ということで、僕が見てきた旅のリアルを「旅の共有」という形で話をした。

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僕が見ている世界、関わっている村のことを「かわいそう」とか「こんなに恵まれないなんて」とは思って欲しくない。少なくとも僕が関わっている以上「貧困」だなんて言わせない。

現に村の様子は以前とは全く異なるし、食べるものがないとか、着る服がないなんてことはない。

ただ、少し学校に通える機会がないということだけ。その少しが、後々大きな差になることだってあり得るのだけれど、貧困の連鎖は教育の連鎖で断ち切るきっかけになると僕は思っている。

 

貧困というものを2年間ずっと考えていた。

お金がないとか、食べるものがないとか、そういう経済的・物質的貧困はどこにも存在をしている。日本だって、本当に生活に困っている人はいる。

 

なんで日本の困った人たちではなく、海外の困っている人たちのために活動をするのか。

こういった質問はよくもらう。

始めたきっかけは以前の記事でも書いた様に、カンボジアを訪れた際に、カンボジアの一つの村のリアルを知ってしまったから。

それだけ。

 

でも僕は最終的に日本国内の問題解決に向けた働きかけをしたいと考えている。

でも、今はできない。

理由は、いくつかあるが、日本のシステムそのものが未だ不透明なことが多いから。

僕の実力不足、知識不足もあるけれど、例えば法整備が進む一方で、本当に救われる人もいれば、ほんの少しの差で適合されない人もいる。もしくはその法をかいくぐって甘い蜜を吸うだけの人もいる。

 

何がよくて何が悪いなんて話を知りだしたら主観が先行するし、キリがない話だけど、もっともっと制度やシステムをシンプルなものに変えていかないと、理解していない国民は多いだろうし、制度が活用されているとは言い難い。

これだけ情報が溢れた世の中で、僕らの多くはその情報を正しく扱えないまま、流れの中で生きていると感じるから。

 

少し話が逸れてしまった。

講演では、これまで書いてきたようなカンボジアやインドでの体験をはじめとして、見てきたこと、感じてきたことを話した。その上で、自分に今できること、村人が今望んでいることを照らし合わせて、できることを継続しているという軸の元に、井戸掘りのこと、道作りのこと、そしてこれから始まる小学校建設のことを話した。

 

2日目は学校内の一角をお借りして、僕が手がけるハンドメイドのリメイクキャンドルの販売やアジアン雑貨の販売を行い、小学校建設に必要な経費の一部とさせてもらった。

その際に、佐久間高等学校の生徒会が主体となり募金活動を進めてくれて、そのお金は2015年8月のカンボジア訪問で井戸を設置する費用とさせてもらった。

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2発目の講演会は同じく静岡県の菊川市にあるみなみ保育園にて。

こちらは保育園なので、園児向けではなく、保護者向け。

自分より年上の方々に話をするというのは、非常に緊張感に溢れる時間だった。

「国際的な活動から見る子ども達の現状」というテーマの元、子育てをしたこともない僕が子どもについてえらそうに話をしてきた。

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ここでも、同じように村に対する「かわいそうなイメージ」を持たせないために、文化的・歴史的背景からその違いを話してきた。

例えば、食事内容の違い、生活スタイルそのものの違い、子育ての違いなど日本とカンボジアだけでなく、国や地域が違えば少なからず変わってくる様子を共有することに徹した。

ただせっかく大人に話すのだから、日本とカンボジアの違いを見せながら、日本の課題、カンボジアの課題をそれぞれ考えるようなテーマにもして、今できることは何か?必要なことは何かを考える時間にしたつもりだ。

 

2本の講演を通じて感じたことは、人に話すことは自分のためだということ。

もちろん人の価値観は様々だから、僕の話を興味持って聞いてくれる人もいれば、何かお手伝いできますか?という声ももらう。

その逆に、興味のない人ももちろんいるし、学校や園が組んだ行事の一つだから仕方なくそこにいるだけの人もいる。

だから、話すことの本質は、あくまでメッセージを届けるだけ。

理解してもらおう、わかってもらおうなんてとんでもない話で、ましてや人を変えるとか、価値観を押し付けるなんてのは、全くもって無謀なことだし、そもそもお前は何様だと僕は思う。

 

メッセージを配信すれば、少なからず一回受信をしてくれる。

そのメッセージを「お気に入り」のフォルダにいれてくれるか、返信をくれるか、ゴミ箱に入れるかは、受け取った人の自由であって、僕は返信をもらうために、メッセージを送っているのではない。

だから、その発信の場があるだけで、僕には十分だった。

 

メッセージを発信するためには、メッセージを作成しなくてはいけないし、メッセージは本当のことをわかりやすく伝える必要がある。

よくわからない人が話すメッセージはやっぱりよくわからないものになってしまうし、逆に興味のないことも、わかりやすく話してくれる人のメッセージはスーッと耳に、心に届く。

わかりやすい文章は、自分が自分のことを理解して、分析して、初めて創られる。稀に想いのまま話をして、メッセージを届けて、感動させてしまうような人もいるけれど。

 

僕にとって人にメッセージを届けることは、自分の頭や心の中を整理するには最適の機会となる。

その中で、自分がよりクリアになれば、届くメッセージの質も違ってくるし、その先に生まれたり、つながる未来もきっと違う。

 

フリーで生きていると自己管理力が本当に必要だなと感じる。

規制もノルマもないからこそ、自分が自分を理解することができないと、ただなんとなく時間を使い、無駄な毎日を過ごすことにもなる。逆に自分がどうしたいか、何を考えているかさえわかれば、そのために必要なことは見えてくるので、時間もお金も有意義に使うことができる。

 

多分僕はこれからも、メッセージを発信し続ける立場にいるとは思う。

やりたいことが多すぎる人生だけど、何をしたいか、何をするべきか、素直に、正直に誠意を持って、色や形を変えることなく、発信することを続けていこうと思う。

 

こんな僕にお話の場をいただける方は、是非ご連絡ください。

 

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