誘いの国インドと名前もない施設利用者NO.17の言葉

こんにちは、北川勇介(@yusukeworld_)です。

カンボジアでの活動を終えて一旦帰国した後、ぼくはインドへ向かいました。

東京では山本シュウさんの家にお世話になり、成田空港まで送ってもらっちゃったりして。

ありがとうございまっす。

 

誘いの国インド

インド滞在のメインは、ぼくの尊敬するマザーテレサが活動していたマザーハウスで介護支援の活動をすることだった。

インド渡航の流れは、デリー、コルカタ、バラナシ、アグラのこれまたベタなコース。

 

デリーではお笑い芸人の小島よしおさんに会った。

ロケの帰りだったらしいけど、気さくな方でした。

芸能人に会うとか見かけるのって慣れていないから、どういう顔していいかわからずこわばっている。笑

 

コルカタ到着後、すぐにマザーハウスの見学と現地で働く日本人シスターの講話を聞くことができた。

マザーテレサは、貧困の中でも物質的・経済的貧困ではなく、身寄りがない、家族がいないなどの精神的貧困者と共に生活をしていた。

 

そこでシスターから聞いたインドのある少年の砂糖の話は、ぼくにとって鮮烈なエピソードだった。

ある孤児院では砂糖が足りず、そこにいる子供たちに十分に砂糖が与えられなかった。それを知った各慈善団体が大量の砂糖を届けてくれたが、これは支援とは呼べなかった。 余力のあるものに対しては、とてつもない量を送ってくるけども、余裕がない時は支援できない。では継続性が見いだせないからだ。施設は途中から届く砂糖を受け付けなくなった。 そんな時、砂糖不足を知ったある少年が母親に言った。「僕も今日から砂糖を我慢する。だから、お母さんは僕に使おうと思った量の砂糖を取っておいて。それを施設に届けるんだ。」そう言って少年は一週間砂糖を我慢した生活をした。そして少年と母親は一週間分の砂糖数十グラムを持って施設に行き、事情を伝えた。マザーは少年を抱きしめて、お礼を言い、砂糖を受け取った。 「貴方が用意してくれた砂糖は、貴方が我慢して取っておいてくれたもの。大切に使わせてもらいます。砂糖が足りない彼らと同じ生活をして、気持ちを理解してくれてありがとう。」そのようなことを言ったそうだ。

支援というとどうしてもその時点で格差が生まれてしまいがちだ。

砂糖を届けた少年は、幸い生活に困る生活ではなかった。

しかし、砂糖を買い占めて寄付するのではなく、生活に砂糖がないことがどれほどのことかを自分も体験し、自分が我慢した分を施設に寄付した。

このエピソードは困っていれば、何でも大量に受け付けてくれる、という支援する側の固定概念を覆すエピソードだった。

「与える」ではなく「分かち合う」という共存・共生だった。

 

インドで始まった生活

それから毎朝ぼくはミサに出て、朝食後にマザーハウスで過ごす生活が始まった。

ぼくが行ったのは、ニルマルヒダイという通称「死を待つ人の家」。

男女に分けられたベッドルーム。

朝行くと、そこにいる人々を共有スペースへと移し、ベッドクリーン、入浴、洗濯、薬の配布など午前中が慌ただしく過ぎていく。

その施設にはぼくのように活動をしに来た人がたくさんいた。

中でも欧米系の人が多く、英語が話せなかったぼくはなかなかうまくコミュニケーションが取れず苦しんだ。

休憩中は英語を介して、いろんな国の人が話をしていた。

同じアジア圏では韓国、香港、マレーシアの人がいたが、みんな英語は流暢だった。

なんか悔しかった。

話したいこと、聞きたいことあるのに、話せない自分が。

 

何もできないから何でもやろう

せっかくインドまで来たんだ。

一番きついことして帰ろう。

そう吹っ切れたぼくは、洗濯では一番汚い場所に自ら入った。

洗濯は手洗いで、大きな浴槽が4つ並んでいた。

まず1番最初の浴槽に何でもかんでも突っ込む。

血や排泄物もがっつり。

そこに強めの塩素系の洗剤を突っ込んで手洗い。

水は数秒で茶色になる。

それをすすいで、次の浴槽へ繋いでいき、4回洗うシステムになっている。

人はこぞって一番汚れが少ない場所へ行きたがる。

ぼくも最初はそうだった。

だけど、一番綺麗なところから取り合っていく姿が虚しかった。

自分も出す排泄物を汚い物として扱うことに疑問を感じた。

だから途中からゴム手袋もつけずに、素手でやった。

ちょっとした小傷の隙間や爪の間から、跳ねて顔にかかった時に、もしかしたら細菌が体内に入り込むかもとかも考えたけど、何だかその時は不思議と嫌な気がしなかった。

だから来る日も来る日も「なんで手袋つけないの?クレイジー!」と言われながらも、ぼくは真っ先に一番汚れている浴槽に向かい、洗い続けた。

そんなことをしていると、何だか少しずつ人が集まってきた。

話せないぼくに、簡単な言葉でゆっくり話しかけてくれる人たちが日に日に増えてきた。

「何でインドにいるの?」

「出身はどこ?」

「目的は?」

こんな簡単な質問にすら、ぼくの頭はフル回転し、持っている英語力の全てで真っ向から向き合った。

全然、勝負にならないけど。

次第に、休憩時間に一緒にチャイを飲むようになり、笑うことが増えた。

楽しくなってきた。

名もなき人、最後の命

そんな時、毎日ぼくがベッドメイクをして、昼食を一緒に食べていた施設利用者がいなかった。

ふいに蘇る入り口の「置物」。

真っ白い布に包まれた中に彼はいた。

ここでは施設利用者に名前はない。

みんなベッドナンバーで呼ばれる。

ぼくが毎日一緒にいたNo.17はこの日から姿を見せなくなった。

昼休み、その布に包まれた彼はいなくなっていた。

命ってなんだろう?

昨日あんなに喋っていたのに。

昨日までずっとご飯食べていたのに。

昨日ぼくに「Are you happy?」って聞いてきたのに。

今日その彼は話すことも、食事をすることもできない。

家族がいない人が生活をする「死を待つ人の家」。

人生の最期をここで迎えたNo.17は幸せだったのだろうか?

彼の人生の最期の方で、ぼくは彼にどう映っていたのかな?

その日、宿に帰るとぼくは何も食べずに、天井から落ちてきそうな勢いで回るファンをずっと眺めていた。

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ABOUTこの記事をかいた人

1986年静岡県生まれ 日本体育大学卒業後、静岡県の公立高校に四年間勤務。 退職後に訪れたカンボジアで縁があった小さな農村部に小学校を建設し、その後正式に独立。 現在はリュック二個のモバイルライフ。カンボジアを拠点にゆっくり旅の途中。