カンボジア小学校建設物語(3)〜人生を変えた出逢い〜

カンボジアでの日本語・英語の指導の合間、1日だけ観光に出た。

現地で出逢った活動の同期メンバーと1日かけてアンコールワット、アンコールトム、タプローム、地雷博物館、キリングフィールドなど。定番コースを見て回った。

 

その時に着いてくれた日本語が話せるカンボジア人のガイド。

お笑い芸人の上◯竜兵に似たサールン。僕は彼をりゅうちゃんと呼んだ。

カンボジアで何かしよう。僕の心の中で湧き上がった気持ちは1人の男を引き寄せた。

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りゅうちゃんに「日本のどこから?」と聞かれたので「静岡」と答えると「知ってる!」と言われた。

僕はすぐに「嘘つけ!」って答える。

りゅうちゃんは東静岡駅の日本語学校に通っていたと話をしてくれた。

更に、遺跡を巡りながら、自分の生い立ちについても話をする。

 

ポル・ポトの政権時代に、りゅうちゃんのお父さんも労働者として働かされ、過酷な労働の元に命を落としたこと。そして続いて母親も亡くしたこと。戦争孤児になったりゅうちゃんは、親戚に恵まれ、働きながら学校に通わせてもらい、更にお金を貯めて日本への留学を決めたこと。

成田空港についた時には残金が7000円しかなくて、10円と100円に崩して公衆電話から、日本に先に来ていた知り合いに電話をして迎えに来てもらったこと。

日本に来たばかりで、まだ話せないのに、焼き鳥屋「串特急」でアルバイトをしていたこと。

お店を閉めた後、店長が日本語を教えてくれたこと。

家の近くにあった牛丼チェーン「松屋」が大好きだということ。

2年の留学を経てカンボジアへ帰ったけど、今でも日本が懐かしくて、夢に見るということ。

 

りゅうちゃんに「日本では何している?」と聞かれて「学校の先生をしていたけど辞めた。」と答えると、「学校とか子どもは好き?」と聞かれた。

もちろん興味はあるし、もっと深く知りたい。

移動中、りゅうちゃんはいろいろ話してくれた。

 

生まれ育った村のこと、今のカンボジアの情勢や、教育問題、社会問題。僕が日本のことを考えて知っていることより、りゅうちゃんはカンボジアのことを考えているし、詳しい。

りゅうちゃんは自分が勉強したことで広がった可能性を痛感し、カンボジアの子どもたちにも勉強をしてほしいと願っている。

 

「カンボジアにはまだまだ勉強できない子どもたちがいる。できることなら力を貸してください。」

「何をしたらいい?」

「小学校を建ててほしい。」

「足りないの?」

「足りない地域がまだいっぱいある。」

「・・・。わかった。3年ちょうだい。」

「やってくれますか?」

「すぐは無理。日本に帰って作戦を練る。ちょっと待ってて。」

 

断る理由のなかった僕は、そう伝えた。

別れ際、「またカンボジアに来ることあれば、言ってください。村を案内します。」

そういったりゅうちゃんに「ありがとう、また来るよ。」と伝え、心の中でまた来る決意をした。

 

りゅうちゃんとの出会いが僕の人生を大きく変えた。

 

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