人生を変えるほどの出逢い

こんにちは、北川勇介(@yusukeworld_)です。

 

あれ?くるりんぱの人ですか?

カンボジアでの日本語・英語の指導の合間、1日だけ観光に出た。

現地で出逢った活動の同期メンバーと1日かけてアンコールワット、アンコールトム、タプローム、地雷博物館、キリングフィールドなどの定番コースを見て回った。

 

その時に一緒に帯同してれた日本語が話せるカンボジア人のガイド。

お笑い芸人の上◯竜兵に似たサールン。ぼくらは彼をりゅうちゃんと呼んだ。

「カンボジアで何かできないか?」

ぼくの心の中でモヤモヤと湧き上がっていた気持ちは、こうして1人の男を引き寄せた。

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ひょんなことから知ったカンボジア人の過去

りゅうちゃんに「日本のどこから?」と聞かれたので「静岡」と答えると「知ってる!」と言われた。

ぼくはすぐに「嘘つけ!」と答えた。

東京、大阪、名古屋などの大都市ならともかく、さすがに静岡は通じないだろって思ったから。

 

そしたらなんとビックリ!

りゅうちゃんは以前、東静岡駅の日本語学校に通っていたことが発覚する。

更に、遺跡を巡りながら、自分の生い立ちについても話をしてくれた。

 

ポル・ポトの政権時代に、りゅうちゃんのお父さんも労働者として働かされ、過酷な労働の元に命を落としたこと。

そして続いて母親も亡くしたこと。

戦争孤児になったりゅうちゃんは親戚に預けられたこと。

働きながら学校に通わせてもらい、更にお金を貯めて日本への留学を決めたこと。

成田空港についた時には残金が7000円しかなくて、10円と100円に崩して公衆電話から、日本に先に来ていた知り合いに電話をして迎えに来てもらったこと。

日本に来たばかりで、まだ話せないのに、焼き鳥屋「串特急」でアルバイトをしていたこと。

お店を閉めた後、店長が日本語を教えてくれたこと。

家の近くにあった牛丼チェーン「松屋」が大好きだということ。

2年の留学を経てカンボジアへ帰ったけど、今でも日本が懐かしくて、夢に見るということ。

 

りゅうちゃん:「日本では何の仕事をしている?」

ぼく:「学校の先生をしていたけど辞めた。」

りゅうちゃん:「学校とか子どもは好き?」

ぼく:「もちろん!興味あるし、もっと深く知りたい。」

 

移動中も、りゅうちゃんはいろいろ話してくれた。

生まれ育った村のこと。

今のカンボジアの情勢や、教育問題、社会問題。

ぼくが日本のことを考えて知っていることより、りゅうちゃんはカンボジアのことを考えているし、詳しい。

りゅうちゃんは自分が勉強したことで広がった可能性を痛感し、カンボジアの子どもたちにも勉強をしてほしいと願っている。

 

りゅうちゃん「カンボジアにはまだまだ勉強できない子どもたちがいる。できることなら力を貸してください。」

ぼく「何をしたらいい?」

りゅうちゃん「今度会ったらいろいろな村へ行きましょう。」

ぼく「そこには何が足りないの?」

りゅうちゃん「小学校が足りない地域がまだいっぱいある。」

ぼく「OK!じゃ今度行こう。」

断る理由のなかったぼくは、そう伝えた。

別れ際、「またカンボジアに来ることあれば、言ってください。村を案内します。」

そういったりゅうちゃんに「ありがとう、また来るよ。」と伝え、心の中でまた会いにいく決意をした。

 

りゅうちゃんとの出会いが、ぼくの人生を大きく変えるほどのきっかけになった。

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ABOUTこの記事をかいた人

1986年静岡県生まれ 日本体育大学卒業後、静岡県の公立高校に四年間勤務。 退職後に訪れたカンボジアで縁があった小さな農村部に小学校を建設し、その後正式に独立。 現在はリュック二個のモバイルライフ。カンボジアを拠点にゆっくり旅の途中。